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ようこそ内覧に


今回の『きのう何食べた?』(原作)は、シロさんの実家の売却話。
それで生家といってもいい、20才過ぎまで住み暮らした家を売りに出したときのことを思い出した。

ストーリー中でも再現されていたが、中古家として売りに出す際は、たいてい購入希望者の内覧がある。
うちにも当時、何家族かがやってきた。

問題はそのときの、我が部屋の惨状w
プータロー時代でメンタルが不安定(これは今もか)、それに加えて体調も今ひとつで(まあ気の病でしょう)、バイトに出る以外は万年床にもぐって一日を過ごしていた。たしかパンツ一丁でw


三鷹の家2

三鷹の家1

枕元にスタンド置いているあたり、万年床感がいや増しますねw

これは引っ越し直前の部屋の様子。これほどではないけど近い状態のとき、まさにこの布団で横になっている最中、内覧に来た3人家族が部屋を覗きこんできたことがあった。
事前に伝えろよっ、親!

そしてその翌年、昭和64年(平成元年)、我が家は昭和35年から住んでいたという東京都三鷹市をあとにし、千葉県松戸市へと引っ越したのでした。

思えば実家が経済的に苦境にあったとき、引っ越しは心機一転の意味もあったのかもしれない、あるいはやむにやまれぬ事情が親にはあったのかもしれない。それはまだ学生の自分には知る由もないことではあったが、いずれにしても家は、借地ながら借金を返し、おまけに新居の頭金が出るくらいの価格では売れたらしかった。
時はバブル、ということもあるにしろ、今とは隔世の感がありますな。

[ 2019/05/25 14:32 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

リレー小説


今日はゴムの日だとか。語呂合わせだねw

そこからの連想で、こんなのを高3のクラス文集に書いたことを思い出しました。


ゴム人間

いわゆるリレー小説ですね。
発案者であり、積極的に執筆もしました。書いたのはおもに授業中。

リレー小説に初めて挑戦したのは中1のとき。
パートナーはクラスメートのツモトくん。原稿用紙に手書きしたものを黒板脇にぶら下げて、みんなに読んでもらってました。
互いにむちゃくちゃな引きにし、それをどう受けるかが醍醐味だったな。
見るよりやる、読むより書く、がこの手の遊びのキモで、とても楽しかった記憶があります。


[ 2019/05/06 12:18 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

我が家の愛車シリーズ : ホーネット(ホンダ MC31)


写真が出てきたので。

HONDAのホーネット(Hornet)。名前はスズメバチの意。





自分が最後に所有した免許が必要な乗り物。
バイクとしては通算4台目。
身辺騒がしかったこともあり、ほとんどといっていいほど乗る機会がなく、そのうち生活が厳しくなって手放した。
もう10年くらいになるのか?

カッコいいし、乗りやすかったので、別れるときは寂しかった。

これに乗って、ライダーの立ち乗り変身ポーズを決めたとこを写真に撮りたいなあと言ったら、知り合いの古書店主に「危ないからやめなさい!」と注意されたのも懐かしい思い出。

[ 2018/12/19 15:20 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

ヨソ者には菓子をやるな


小学校低学年……いや、幼稚園に通っていた頃だな。
隣接地域でお祭りがあり、町内には子どもらが引く山車も出ていた。祭りがあるのはたぶん知っていたろうし、知っていなくても昭和40年代のことだ、掛け声などは多少離れた場所まで届いていたことと思う。そんなハレの気配にさそわれて、幼い自分も観に行ったんではないだろうか。
まあ、詳細はさすがに覚えていないが、そんなこんなで山車が終点までやってきたと思ってもらいたい。そこで、大人たちが子どもらにお菓子を配り始めた。チビッコにしてみたら、わーい!って感じだなw んで、その列に自分も並んだのだが、山車を引いてない者にはやれないという!?
山車を引く子どもたちというのは、当該町内会(氏子)に所属している家庭の子どもで、事前に参加を呼びかけられた者たち、ということにそもそもなるのだろう。

ともあれ、そのときは大変にさびしい思いをした。悲しくもあった。
50年近く経っても覚えているくらいだからなw

祖母(一緒にいたのか後で報告したのかは忘れた)は、これに激怒した。
日本橋で生まれ育ち、その後は幡ヶ谷、恵比寿にあたりに住み暮らした祖母(といっても当時アラフィフ?)には、ケチ臭いムラ社会的なルールが我慢ならなかったのだろう。実際、他所から来た子も歓迎していた幡ヶ谷の祭りと比較して腹を立てていた記憶もある。

といったことを不意に思い出したのにはワケがある。

週刊モーニング連載中の『カバチ!!!』(『カバチタレ!』第3シリーズ)の、今連載中のエピソードが、まさにこういった話なのだ。田舎町に家を買って移住した家族が、夫は町内会、妻はPTAと、ムラ社会の理不尽な掟に翻弄される……。毎回イラッとしながら読んでますw
そして今週は、その一家の一粒種の少女がかわいそうな目にあう話で。それというのが、ウサギを抱っこできるイベントが町内であり、友人に混ざって少女がウサギに手を伸ばしたところが、親が町内会に入っていないせいで――配布された参加券を持っていないせいで、抱っこさせてもらえず悲しい思いをしたという話。身につまされるとはこのことだ。泣けた。

こういうこと、まだまだいろんな場所で起きているんだろうな。
自分が幼い頃に味わったのと同種の悲哀を、今もどこかで味わっている人がいる。というのは、心底おどろき。今って西暦何年だよ。あれからどんだけ時間が経ってるよ。

各所各人、それなりに立場や考え方があるのは分からないでもない。でも、つまらん理由で人と人の間に線を引く、罪のない子どもを排除する閉鎖的な発想は、そろそろこの社会から消え去ってほしい。そう思うことです。


[ 2018/12/04 14:29 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

ロケテスト


『ハイスコア・ガール』を読んでいたら(再読)、4巻がカプコンの『ヴァンパイア』がリリースされた時代で。このゲーム、ほとんどプレイした記憶がないんだけど、ロケテストには行ったんですよね。

当時、JR東小金井の駅前に〈モーゼ〉というゲーセンがあって。その隣の〈ホープ〉と合わせて、いっつもゲーム少年で賑わっていた。で、そのモーゼでよく新作のロケテストが行われていたんですよ。

wikipediaによると『ヴァンパイア』は1994年リリースとのこと。当時、自分は隣駅の武蔵境に住んでいて、ゲーム業界に入って4年めくらいかな。ということは既にフリーランスになっていて、それで気軽に昼間、出かけていったんじゃないかと思う。
ロケテの情報をくれたのは、たぶん業界に入る前から親しかったゲーセンのバイト(武蔵境のタイトーと、のちに近所の小さな個人店でも働いていた)時代の仲間で、このときも一緒に行ったはず。

まあ、えらい賑わいで、当然メイカーの営業も来ていたはずだけど、あの中でさすがにプレイはできないよね。踏んでいる場数が違うし、業界人ったって実際のプレイスキルは一般人に遠く及ばない。
後ろのほうで、腕に自信のある皆さんのプレイをじっと見守っておりました(ロケテストの意味合いからすれば、実は平均的プレイヤーのほうが歓迎される?)。

何時の頃からか、プリクラ→UFOキャッチャーに蹂躙されて、昔ながらのあのゲーセンの雰囲気はなくなってしまった。煩くてタバコ臭くていかがわしかった当時のゲーセンを、ときに妙に懐かしく思い返すのは、自分が働いてもいたからかな。


* ロケテスト = 開発途上のゲームを一般公開し、ユーザの意見の取り入れ・ゲームバランスの調整・デバッグ・市場調査などのために行う、ベータテストの一形態(「wikipedia」より)





[ 2018/11/24 15:54 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

映画の歴史


承前

『恐竜・怪鳥の伝説』――というより『ドカベン』を観に行った当時、鑑賞データ(というほど大したものじゃないけど)をつけていた。
始めたのは小6のころ。クラスメートのオゴシくんの真似をしたものだw

題して「映画の歴史(History of the Movies)」!





ここは「(劇場)映画鑑賞歴」とでもしてもらいたいところだが、しょせん小6のボキャブラリー。勘弁していただきたい。
でもって「Movies」ってのがまた振るってるw
ここは「Cinema」だよな。
定冠詞までついてるし。「動画の歴史」だ。これじゃw

内容はというと、こんな感じ。

IMG_1884.jpg


件の映画は、みっちゃん(叔母)とじゅんじ(弟)と行ったようですw

だんだん抜けも多くなり、あまり劇場に行くことがなくなった高校時代の途中で歴史は終了!


[ 2018/08/16 17:31 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

1984・冬の想い出


先週の雪。東京では4年ぶりのまとまった積雪だったらしい。
そう聞いて、なるほどあのときはそうだったと思い出せるのは、祖母がその年の2月に世を去ったから。履き慣れぬ革靴で、セレモニーホール前の凍結した坂道をヒヤヒヤしながら下った記憶もあわせて喚起される。
余談だが、積もるほどに雪を降らせた寒い冬というのもあったのだろう、焼き場も渋滞を起こして確か3日待ちだったはずだ。

今年は記録的な豪雪が全国を襲っているらしい。話を戻せば1/22から翌23にかけて東京で降った雪が、10日経っても都内ですら解けずにおり、そうこうするうちに次の降雪に見舞われる展開となっている。雪国ならともかく、都市とっては立派な雪害といえよう。
このような状況は、1983-1984の「五九豪雪」以来だという。振り返ればその頃、自分は高校最後の時間を過ごしていた。KOの文B入試は雪で1時間遅れのスタートだったのを覚えている。
そんななか、クラスの有志10数名で卒業旅行が企画された。場所は河口湖畔。サニーデ・ロッヂ(たぶん現在はこれ)という宿泊施設でコテージを借りたのだが、一泊二日の初日に我ら一行を襲ったのが当時「観測史上2位」の積雪。降り始めは夕方近かったのだが、あっという間に降り積もり、自分などは木材置き場から適当な板を見つけだしてきて、「ボブスレー!」とかいって坂を下って遊んでいた(今になって思えば「リュージュ」が正解ですね)。

1984雪

ほとんどの仲間が受験を終え(落ちた人は厳密には終えてないのだが)、その反動もあってかせいぜい酔っ払った夜だった。深夜、男1名が姿を消し、心配した面々が足跡をたどって凍結した湖面を追跡したという、なかなか得がたい名エピソードが残されているのだが、残念ながら泥酔した自分は爆睡の最中。蚊帳の外であったのが残念だ。


[ 2018/02/03 15:42 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(2)

置き薬


むかしは多くの家が利用していた置き薬(配置薬)。
うちにも(たぶん)富山から薬売りのおじさんが定期的に来ており、幼き自分も交換の場に立ち会って、ゴム風船とかもらったりしていました。

それがいつまで続いていたのか、まるで記憶には残っていないのですが。
専用の箱は、置き薬を利用しなくなったあとも我が家に残っていました。

これです。


置き薬


市販薬を入れるのにも都合が良いので(当たり前だ)、置き薬契約?が済んでからも現役を続けていたんですね。
で、自分が独り暮らしをするにあたって、常備薬と一緒に持たされて今に至るわけです。

と、ここで話は終わりません。
こういう時代ですからね。箱に書いてある住所と社長?の名前でググってみました。擦れて消えている部分は想像で補って。
(社名は出てこず。すでに廃業したか改名したか…)
したらば、ちょっと前の情報ですが、富山県にあるその町に、同じ名前の人がいることが分かりました。
電話番号も出ていましたが、もちろんかけません(笑)。

何はともあれ、たいへんに愛着のあるものなので、私的断捨離ブームにも動ずるものではなく、今後も愛用させていただきます。

[ 2017/11/18 13:42 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

「ゼロの焦点」からの立川


『ゼロの焦点』を読んでいたら米軍立川基地が出てきた。

『シン・ゴジラ』で後半の拠点となる立川広域防災基地も置かれているあのあたりは、かつて陸軍立川飛行場やら陸軍航空工廠やらがあった場所で、敗戦でアメリカに接収されて同基地となると、返還までずっと日本の中の異国だった。米兵相手のパンパン(私娼)が清張の作品では重要な位置を占めており、当時の状況をうわっつらではあるが窺い知ることができる。

基地(の土地)が全面返還されたのは1977年(昭和52年)だそうだ。
自分が12才のとき。なので、それから3、4年後の話になる。

都立武蔵高校への進学が決まり、入学に備えた健康診断があった。とあたかも紛れようもない事実のように書いているものの、↑こんな昔の話なので記憶違いかもしれない、それを前提に話を進めさせてもらうが、その健康診断が行われたのが立川基地跡地だった(たぶん)。

立川で降りたのは、それが人生で2回目だったはずだ。
最初はやはり中3のときだったと思う。あるいは中2だったか。日本育英会が立川の南側にあり、そこに面接に出かけて以来のことだ(資格取得のためには学業成績と親の収入が主に参照されるほか、育英会に出向いて集団面接と討論みたいなのもやらされる。大学進学時も同様だった)。ただし今度は北側である。闇市の名残りのような雰囲気のあった南とは違って、当時からけっこう栄えていたような気もするが、地元民でないので記憶の改ざんがあるかもしれない。これまた記憶違いはご容赦願いたい。

ともあれ健康診断だ。
それが指定された場所に行ってみて驚いた。何もないのだ!

俗に言う、東京ドーム●個分ってやつだ。そんなスケールの空地が広がっているのだ。

以前は飛行場の関連施設、あるいは住居区なんかもあったのかもしれない。よく知らないが、そうしたものを撤去してスケルトン状態で返還したということなのだろうか。
そしてそんな広大で、殺風景な土地に、ポツンと廃屋が建っていた。

こんな感じだ。

会場?は2階にあり、歩くとガン、ガンと音が鳴る古い、錆びた外階段を上がって入っていった。その中央に、係員が座る簡易な事務机と身長計が置かれている。実にシュールw

似たようなシチュエーションで検査を受けた人にあまり出会わなかったので、もしかしたら差し替え(当時の都立入試は受験校を一度だけ変えられた)の生徒だけに臨時で行われたものなのかもしれない。

就職したゲーム開発会社の所在地だったり、付き合っていた相手が住んでいたりと、その後もそれなりに縁のあった立川だが、20代の後半にWINSに出かけて以来、降りた記憶がない。今や吉祥寺を上回る、都下では最多乗降客を誇るまでになっているようだが、そのうちふらっと遊びに行ってみようか。むろん、かつての面影などかけらも残っていないだろうが。

[ 2017/08/21 16:15 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)

黒猫



中学時代の友人Kには、都立調布南高校に通う兄がいた。
その縁から、同校の文化祭に出かけたことがあった。
たぶん中2の頃だと思う。

さすがに40年近く前(!)のことになるので一本筋の通った記憶は残っていないが、断片的なものはいくつかある。そのうちのひとつが『黒猫』だ。
ポオの恐怖小説『黒猫』の芝居を、何年何組かは忘れたが体育館で演し物としてかけていたのである。

まさに横溝ブームのただ中であり、クリスティ映画も連続して海を渡ってきていた当時のこと。すっかり影響を受けた自分はご両所の作品を何冊か読んではいたが、まだ自分の中に「ミステリ」「推理小説」といった意識はなかった。そして、その手のジャンルの始祖がポオという作家であることも、おそらく知らなかった。
なので、なんでその芝居に興味を惹かれたのかは今となっては不明である。
あるいは前後にバンド演奏があったので、そこにK君の兄が出演していたとかいう話だったのかもしれない。

とまれ問題の芝居だが、よくできていたと思う。舞台演劇にまるで興味がなくこの歳まで来た自分が(従って当然サンプル数は僅少)、唯一面白いと思った芝居でもある。

この記事のカテゴリー、「本」にしようかと思ったけど、いい機会なので新たに「昔のはなし」というのを立てました。
回顧(懐古)話もそれなりに出てくる歳になったしね。


ノア2017-02-04(2)

うちの黒猫。昨日、4才になりました。


[ 2017/08/15 11:35 ] 昔のはなし | TB(0) | CM(0)
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