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我がルーツの四分の一


台風12号が、西日本豪雨(平成30年7月豪雨)の被災地を通過中とのこと(といったタイミングでこれを書いている)。被災された皆さんには心よりお見舞い申し上げます。


多磨霊園に母方の祖父の墓がある。数年前、祖母が亡くなったのを機に、そこを閉める話が持ち上がった。母の姉妹がすべて千葉に引っ越したため、墓を移した方が都合がいいという話である。老境というには早いが、そろそろ母には遠征が億劫になったという理由もある。
しかし、多磨霊園は墓所としては人気の場所。閉めるのはもったいない。せっかくなので、よければお前に譲渡すると言われた。
うちの夫婦には子どもがいないので、いずれその日が来れば合葬なり樹木葬なりを選ぶことになるだろうと漠然と思っていたのだが、そう言われたら、いただけるものならいただきましょうとなるのが人情だろう。いただくことにした。

とはいえ多磨霊園は都立霊園。口頭の、やる、やらないで権利が移せるものでもない。譲渡(承継)にあたっては、現名義人と新名義人の間に戸籍上のつながりがあることを、公的書類によって証明する必要がある。現名義人の出生から死亡までの改製原戸籍というのも、そのひとつだ。
今回の場合、既に亡くなっている祖父が名義人なので、故人の戸籍を遡ることとなったわけだが、その中に生家(だと思う)の住所が記載されていた。
それが「岡山県後月郡芳井町大字上鴫」。西日本豪雨の被災地でもある。

調べてみたところ、すでにこの住所自体は存在しない。2005年、合併で井原町に吸収されたらしい。googleマップで検索したら、広島との県境、倉敷よりも福山に近い場所だった。wikipediaによると「吉備高原の南端に位置し、町域の大半が丘陵と山林である。小田川が北から南に貫流している」土地らしい。

30年以上も昔の話になるが、祖母は「八つ墓村みたいなところ」「おじいさんの家から村のどこへでも行けた」などと言っていた。「国宝クラス(オーバーだろ!)の品物が蔵にたくさんあったけど火事でみんな焼けた」という話も聞いた。
大正時代に都内で会社を興し、それが戦災にも耐えていまだに続いているあたり(祖父の兄の直系)、話半分としてもそれなりの素封家ではあったのだろう。

と、そういった経緯もあり、岡山が被災という報道があると、つい見入ってしまう。
祖父の死後は本家?とほぼ断交状態。祖父が受け継いだというささやかな土地も、30年近く前かな、国道を通すとかで土地売却の話が来たとき、祖母が権利放棄をしてしまったので、今はまるで無縁なんだけどね。
でも、やはり根の一本があった土地となると、それなりに気になってしまう。

ともあれ、岡山県井原町の皆さんには暑い最中の避難生活、日常生活回復のための後片づけなど、しばらく大変な時間が続くかと思いますが、どうぞご自愛ください。

[ 2018/07/29 14:18 ] 身辺雑記 | TB(0) | CM(0)
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