FC2ブログ

伏線の回収


クドカンが、週刊文春連載のエッセイでだったと思うけど、自作の中で伏線が回収されないことに対するファンのネガティヴな反応について、ちょっとしたイラ立ちを(笑いに紛らしながら)示したことがありました。
伏線って回収しなきゃいけないのかよ、回収されないんだったら伏線じゃないんだよ――って感じだったかな? 随分前のことなのでよく覚えてないんだけど、作り手ならではのモヤモヤっとした思いが出ていて興味深かったです。

ただ、ファンの立場を思えばしかたない部分もあって。
そもそもクドカンって、そういうことを期待される=そういう伏線の張り方の妙が評価されている作家だと思うんですよね。もう、視聴者のほうもハナから身がまえている。その身がまえたところに期待どおりに落とすこともあれば、敢えて微妙にズラして良い意味での肩すかしをしてみせる。それこそが彼の真骨頂ではないか。
とても構成に気を使った、企みの前に出た書き手だけに、伏線に注視されるのは宿命みたいなものでしょう。

ヒット中の『カメラを止めるな!』について、伏線をきれいに回収してみせている――みたいな評価を目にしたことがあります。また、先日終わった朝ドラでは、回収されなかった伏線(回収されないんだから伏線じゃないんだって!w)に批判的な声が上がっているようです。かように伏線に対する視聴者(読者)のハードルは上がる一方。というか、悪いほうにエスカレートしていっているフシがあります。
話自体は面白いのに、回収されない伏線があると、そのことに過剰に突っ込む意見がネットでは散見される。作り手は胃が痛いことだろうなあと人ごとながら案じてしまいます。まあ、自分もときに過激に突っ込むことがないわけではないのですがw

ちなみに、最近の当ブログにあって毛色の異なるこのエントリーは、なんの伏線にもなっていません。ならないはずです。

[ 2018/10/02 13:17 ] 身辺雑記 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

月別アーカイブ
フリーエリア